令和元年度 年次総会 講演録 竹下和男さん「子どもを台所に立たせよう」

 

講師  竹下和男氏 (子どもが作る『弁当の日』提唱者)

★弁当の日のはじまり

「弁当の日」は、献立、買い出し、調理、片付け、全部子どもだけにやらせます。親は手伝ったらダメ。

校長として、滝宮小学校で「弁当の日」の取り組みを進めた時に、「教師の仕事は、目の前に生きる子どもをいかに育てるかではなく、目の前の子どもがこの世にいなくなっても、今あなたが教えたことをその子どもたちの子や孫が実践しているという状況を作る必要がある」と宣言しました。校長は昨日言ってなかったことを今日している、今日言っていることを超えた話をまたしている。これを職員に意識的に見せ続けてきました。

日々成長していないと、日々成長している子どもたちの前に立てないという信念があったからです。教師は教える側であって、教えられる側ではないという無意識の感覚があります。上から目線で、5年前、10年前の板書のままでも何の不都合もないという感覚でいる。これが子どもたちをダメにしています。

8050(ハチマルゴーマル)問題、ご存知ですよね。80代の親の年金収入で暮らす、ひきこもり状態の50代の子ども。半年以上社会参加できない状態の40~64歳の人、61万人です。15歳~39歳で54万人。30年前は50代の親がひきこもりの20代の子どもの世話をしていた。
20歳の子に親が独立せい、仕事に行けと言いながらも、30年経っても仕事に行かない。「家でゴロゴロせんと、仕事に行きなよ」「食事の準備、洗濯や掃除くらい自分でしなよ」と言っても、「俺をこんな風に育てたんはお前や」。すべて親に返ってくるんです。私は、教育が人間の体に一生のものとしてどう染みこんでいくか分かっています。でも、親は気づいてなかったんです。

小中学生、高校生に「朝起きたら、自分以外の人はまだ寝てます。たった一人でごはんとみそ汁の朝ご飯作れる人?」と聞くと、手が挙がるのは小学生で1%、中学生、高校生でも1%です。

親がそのように育てているのです。掃除、洗濯、ご飯の準備、片づけも、全部してあげるから、あなたは将来、勝ち組になるために自分のことだけしてればいい。そういう風にしてあげることが親の愛情表現だと思ってるんです。だけど、脳の仕組みは、「してくれるならしてもらった方がいい」となる。ずっとしてもらった人は、してもらうのが当たり前で、しなさいと言われるとカチンとくる。自分のやりたいことだけやって、やりたくないことを指示されるとキレるんです。全部自分が一番だと思っている。動物行動学でいうと、家族の中で順位がどの位置にあるかを、0歳児でもちゃんと察知していて、我が家の中で自分を上位にもっていくための活動をしているんです。

養老孟司さんの『バカの壁』の中で、「生まれてきた子どもは周りの大人全てを自分の奴隷にするために生きている。」とある。それを知らずに、私はあなたに愛情を注ぐとても優しい親なんだ、と伝えようとしているから、お互いの意思のずれが起こる。勝ち組になるために、お稽古事、偏差値…という感覚になってきているので、その根底の指導にかかる必要があるんです。

★はなちゃんのみそ汁

それをわかってもらうために、『はなちゃんのみそ汁』というスライドショーを見て頂きます。安武千恵さんという女性が乳がんになって、左胸を切除した後に妊娠をしました。抗がん剤を使わないと再発のリスクがある、使うと赤ちゃんに障害が出る可能性がある、赤ちゃんと自分の体のどちらを優先するかと言われ、子どもを堕ろすことにしました。でも、赤ちゃんの心臓が動いている映像を見せられた途端、産むことにします。

この話を小中学生にすると、泣き出す子がいます。あなたたちも、生まれる前にこの子を生んで育てようという答えを、お父ちゃんとお母ちゃんが出したんだ。出してもらえなかった子は、人工妊娠中絶でこの世に生まれてこなかった。千恵さんは出産後、抗がん剤を使える状態になりましたが、母乳を与えたかったので、使いませんでした。母乳はもとはお母さんの血液からできています。はなちゃんが、数カ月の時点で母乳を拒否し始めました。母乳の異常、つまりガンの再発を察知したんです。お母さんは粉ミルクに切り替えて育児を続けました。

両肺と脊髄と肝臓に転移し、抗がん剤を使うことになって、お母さんははなちゃんを台所に立たせます。明治の初め、日本人の平均寿命は41歳でしたから、昔はずっと「いなくなった後」を考えてきた。ところが、今時の親たちは「自分がいなくなった後」を、考えなくなりました。50歳で自立してなくても、80歳の親がまだ子どもの世話をしている、8050問題が起きてきています。

『はなちゃんのみそ汁』のスライドショーを見て、鼻の奥がつんとくる、ジワーッと涙が出てきた子はいじめをしない。よその家の小さな子が一人でみそ汁作って、それがどうしたんですか?とケロッとして、泣いている親や先生を指さして笑っているような子はいじめをしてるんです。先生に指導をされても分からない。

脳の前頭前野は、昔は共感脳と表現し、今の脳科学者たちは人間脳と呼びます。チンパンジーやゴリラなどの類人猿のDNAは、98.5%は人間と一緒ですが、1.5%分はここの違いです。ここが育っていれば人間になれる。8~19歳頃が一番、ここが育つ。その時期に「部屋の掃除、洗濯、ご飯の準備、私が全部してあげるから、あなたは自分のことだけしていればいい」と言われている子どもは、他人のことを思いやって涙を流す、もらい泣きという現象が理解できないのです。

前頭前野が育つ時期に、育つ環境を作ってやるのは、大人の責任です。犯罪を犯しても全く反省もしない子ども。被害者に対して謝罪をすることそのものが分からない、前頭前野が育つ環境をもらっていないのです。

★子どもが自分で食事を作れるように

昨年5月、九州で聞いた話です。
幼児と数ヶ月の赤ちゃんを連れた母親が保健所にやってきて、「ほしくないのに生まれたんです。高く売れる方を一人売りたいんです」と言いました。実話ですよ。

10数年前、私が「弁当の日」の講演活動をし始めた頃、3歳の子どものお母ちゃんが私に、こんな話をしてくれました。「保育所の遠足で、5人のお母さんが輪になって、話をしているのを聞いてびっくりしました」。5人とも金髪で20歳前に子どもを産み、「こんなくそガキ生むんじゃなかった」「オムツを替える度に臭いし、汚い」「ギャーギャー泣きわめいて、なんで泣いてるんか説明してくれへん」「化粧品や服を買うお金も全部子どもにいってしまう」「どこかに行こうと思っても邪魔になる」って、盛り上がっていると言うんです。この話を私が保育所や幼稚園ですると、「分かります」という園長先生が大勢います。

産婦人科の先生に聞くと、20~30年前なら、強姦されて堕ろしたいとか、不倫相手との子どもを育てられないとか言った人が、出産したら「やっぱり育てます」と子どもを抱えて退院していったそうです。今は両親揃っているのに、子どもを育てるつもりがないから誰かもらってくれへんかなと堂々と真剣に言う。何が変わってきたんだろうと思うんです。

彼女は言いました。実は私も19歳でこの子を産みました。でも、子育ては楽しい。子育てを嫌がるあの5人が普通で、私は例外かとずっと不安でした。先生の講演を聴いて、私の子育てが楽しいのはおばあちゃんのおかげだとわかりました。「あんたは女の子やから、大きくなったらお嫁に行って、毎日毎日家族のために食事を作るんやで。それを家族がおいしい、おいしいって食べてくれたらどんなに嬉しいか。季節毎に出てくるいろんな食材を使って、いろんな方法でいろんな料理が作れる。それをおかわりと言うてくれたら、また嬉しいよ。おばあちゃんが教えてあげるから一緒に台所に立とう」と、私が小1の時から毎日夕食作りを手伝わせてくれたんです。

19歳で産んだこの子を看護師さんから初めて受け取った時、私の頭の中に次から次に浮かんだのは、この子に食べさせたい手料理でした。買い物中も、作っている間も、食べている間も、片付けもずっと楽しいんです。子育てが楽しくてしょうがないという心と体をおばあちゃんが台所で私に教えてくれました。

おばあちゃんがなぜこんな孫育てをしたか分かりますか?千数百年、男女差別の時代が続き、出産、育児は女性の仕事と決めつけてきた。差別的な言葉を使いますが、娘を売るためには、家事労働の全部を身につけてからでないとダメだという感覚で子育てをしていたのです。

私の時代には、30過ぎになると「売れ残り」と露骨に言われました。中卒では見合いの話が全くこないから、塾やお稽古事をさせ、高校進学をさせたいと一所懸命になったんです。そうして、自分の子に幸多かれ、と思って家事労働から解放し、一所懸命勉強させてきたんです。結果的に学歴で勝ち組になれる人ばかりでなく、ドロップアウトした人達が経済的に安定した状態で子どもを育てられなくなる。子どもの貧困問題もどんどん出てくる。社会の仕組みが見えてくる訳です。今のような競争を続けていると、どんどんそうなっていきます。

優秀な人は安定した収入があって、自分でやれなくても、あの手この手で料理し、買ってきて食べさせられる。それが無理な子どもたちが、ボランティアのおばあちゃん達に支えられて子ども食堂でしのいでいる。

私は全ての子どもが自分の食事を作ることができる、それが当たり前だという状況を作りたいんです。

はなちゃんは5歳の時に、お母さんに「指切りげんまんしよう。お母さんがご飯とみそ汁を作れなくなったら、あなたがご飯とみそ汁を作りなさい。作り方を教えてあげる。分かった?」と言われ、意味が分からないけど、「約束する」と言う。

お母さんが亡くなった後、朝起きて鍋に水を張り、鰹節を削って出汁をとって、「お父さん、朝ご飯できたよ」。お父さんは千恵さんより料理が上手で、自分が作った方が断然早いし楽だけれど、はなちゃんにやらせる。自分の今の都合より子どもの未来を優先しました。

子育てというのはそういうことです。自分の今の都合を優先するよう育てられている子どもは、自分が親になっても、自分の動きにマイナスになる子どもの世話をしたくない。できたら人に育ててもらいたいという露骨な言動が、どんどん日本の中で膨らんでいるんです。

★健やかに育つ3つの時間

子どもが健やかに育つためには、家族とともに衣食住の時間(暮らしの時間)をたっぷり過ごすことで、人間になる基礎作りができてくる。家族の中の信頼関係の中で心と体の基地を作った上で、友達と屋外で群れになって、全然知らない連中と大人のいないところで遊ぶこと(遊びの時間)で、コミュニケーション能力を身につけ、学校に行き始めたら(学びの時間)、好き嫌いでなく、全ての教科にチャレンジし、自分の適性を見つけ、とことん磨いて、社会に貢献する人に成長していく。これが子どもが健やかに育つ3つの時間。この「暮らしの時間」が見事に崩壊しています。

電子機器にお守りされた子どもたちは、目と目で会話し、相手の思っていることをイメージする能力が育っていない。スマホやゲームはいじっても、人間相手はものすごいストレスを感じて、コミュニケーションをとれない。その状態の人が極めて優秀な能力を発揮し、学歴を重ねて社会人になっても、人間相手の仕事に行き詰まり、自分は優秀なはずなのに、こんな風になったのは、お前の子育てが悪かったんだという話になってくる訳です。

人は置かれた環境に適応する、ということです。生物学的には、適応する、順応することで、生き残る率が断然高くなります。朝ごはんを一人で作れる子どもが1%というのは、その環境の中にいたほうが楽だからです。

例えば、中学生に「この学校で、弁当の日があった方がいいと思う人、手を挙げて」と言うと、1年生は90%近く手が挙がります。2年生で50%、3年生で15%。作らなくていい状況に適応した事実が長く、そのままでいいと思っている。でも、1年生は今からでもチャレンジしてみようという気持ちが残っている。だから、私は小さいうちに子どもを台所に立たせた方がいいですよと言っています。

JAの女性部での講演で、おばちゃん達に、自分の親が食べさせてくれた手料理を一通り作れる人、手を挙げてと言うと、75より上の世代はニコニコと手を挙げます。この世代はできるようになってないと嫁に行けない環境で育っている。手が挙がらないのは30~40代。次に、あなたたちが今、自分で作っている、家族に提供する料理を一通り全部作れる状態にわが子を育てている人、というと、全国で10%以下です。

結局、置かれた環境に適応したということです。料理が全くできない子どもも、料理より塾が大事だと言われてきたら、そのように育っていきますよ。だから、子どもが持っている価値観、人生観というのは、環境の中で大人がどんどん子どもに与えているという視点に立って洗い直してみないといけないんです。

★人は置かれた環境に適応する

私の知り合いが、児童養護施設から8歳の男の子を引き取りました。一所懸命作った手料理を、途中から食べなくなりました。どうして?って聞いたら、その子が「お母さんの味がしない」と。お母さんがどんな料理を作っていたのか尋ねようもなく、どうしたらいい?と言うと、「コンビニ弁当を買ってきて」と言いました。目の前に弁当を置くと、「お母さんの味だ!」と貪るように食べたそうです。

彼がほしがったお袋の味は、添加物の味です。野生の世界では、何千頭もの牛の群れでも、何万羽ものカモメの群れでも、親は自分の子どもにしか母乳や餌を与えない。「お袋の味」でつながった親子の絆です。人間もそれと同じように、お袋の味という感覚を身につけるのは、3~9歳頃、味覚の発達の時期と関係している。子どもが台所に立ちたがるピークは5歳。この時期に、親が与えてくれた物を、お袋の味として認識するようにできています。小さい時に食べる親の手料理には、保存料や着色料等の添加物が入ってません。

砂糖や塩、酢等の使い方には料理人のクセがあって、大人の40倍の能力で識別する力で、子どもはそれをお袋の味として身につけます。それを食べて精神的にも安定することを繰り返して、家族の絆を作っていくようにできている。ところが、今子どもたちのお袋の味は、コンビニのおむすびやマクドナルド、できあいのものだったりするのです。親子の絆の話とは全く違う世界に入っています。味覚でその感覚を作れる人間になっていった方がいいですよということで、台所に立たせるんですね。

ついでに言うと、次世代の子どもを産む能力、生殖型の発達というのは、12歳で10%もできていない。80%は15歳以降の5年間。成長の中で一番後回しになるのは、子どもは子どもを育てようとしないからです。

子どもは遊ぶのが仕事です。いろんなことにチャレンジして、失敗を重ねて、打たれ強くなって、未来に起きる大きな失敗を未然に予測する能力をつける必要があります。ということは、この時期に、さっき私が話した「遊びの時間」、屋外でいろんな体験をする必要があるのに、それをしていないから、子ども時代に遊んでないぞという思い残し症候群の状態になっていて、結婚しても子どもを産んで育てるよりは、自分が遊ぶ方を優先する。

この15~20歳の5年間の食が見事に崩壊しています。食事を作って食べることができるという教育そのものがなくなってしまったんです。
九州大学の200数十名の学生に、一日に食べたものを写真に撮って提出してもらった10数年前のデータです。7時チョコバー2個、7時半ヨーグルト、終日ペットボトルのお茶、3時半の昼ご飯は砂糖たっぷりの菓子パンと饅頭とジュース。

なぜこうなったのか。人は置かれた環境に適応します。日本中で50%近い子どもが朝ご飯として菓子パンを食べています。たっぷり甘い物を食べることが食事だと教えられているから、なぜ朝ご飯が菓子パンじゃだめなんですか、となります。台所に立って料理を作り始めてくれるかという話をしても、中1から中3でそれだけの差が出てきて、中3にもなると今から料理するよりはしてもらう方がいいという感覚になる。高校生になっても、大学生になっても、結婚しても、してもらう方がいいとなり、結局「8050」の状態がここまで広がってきている。

★「弁当の日」で環境を変える

変えようとしたら変えられるんです。このデータの学生達は料理をしなくていいと言われて、親のいいつけを守った良い子たち、九州大学ということは、明らかに勝ち組の話ですよ。日本中で若者達がこういう食生活をしてるのです。なぜここまで食が崩壊したか。子どもを台所に立たせなかったからです。そんなの後回しでいいとやってきた。だけど、勉強もスポーツも芸事も、人間としての体を作ってからの話なんです。体を作ることそのものに価値を見いださないような環境の中で子育てをしていくのであれば、意識して、子どもを台所に立たせませんかという話になってきます。

人間は環境を変える脳を持っているので、このままではまずいと思ったら、自分を作りかえたらいい。本人がその気になれば、いとも簡単にできます。
この写真の滝宮小学校の4人の5年生の女の子たちは、料理を一度もしたことがありませんでした。包丁持たせてません、ガスコンロ触らせてません、早起きができるはずがありません、と親たちは反対しました。だけど、私が校長の権限で、明らかに見切り発車の状態で「弁当の日」を始めたら、子ども達は弁当作りをして、朝8時前に登校してきて、見せっこして、めちゃくちゃ盛り上がってる。

この子達に14年後に電話をして、この写真と同じ順番に並んで写真を撮りたいから小学校の中庭に来てと言うと、「わかりました。弁当作って持って行けばいいんでしょ」と言ってくれました。その子らは、「毎日、弁当作ってます」「作るの楽しいんです」って言ったんです。もう涙が出るほど嬉しかったです。

子どもは小さいうちは労働と遊びの区別がつきません。小さな子はすべてが遊びなので、「お母さん、やらせて」「何かできることある?」と、遊び感覚で台所にやってくる。その経験がある子どもは、家族の食事を作っても報酬を要求しない。家事労働は家族の快適な暮らしと家族の笑顔が報酬です。それで満足するという感覚は、家事労働の中で培われるようにできているんです。それをやらせてくれと、私は言っています。

5年生になって台所に立ち始めた子が、5、6年生で10回経験して、24歳になって「毎日作ってます」「楽しい」と言ってくれる。その気にさえなれば間に合います。学校中でやるから盛り上がり、自分が作れない料理を作れる子を見て、かっこいいと思うんです。親に作ってもらったきれいな弁当より、自分で作ろうとして焦げてしまった卵焼きがいいと、子どもはどんどんやっていく。

★子育ては楽しいという心と身体づくり

この写真の女の子が、「先生、ひとつ作るよりふたつ作る方が楽しい」と。その子は先月、2人目の子を産みました。答えはこうです。「弁当の日」で育つ、子育ては楽しいという心と身体。

料理を作ることは、次世代の子どもを育てるのが楽しいという感覚になることとセットになっている。それを昔の人は経験的に知っていたから、女の子を徹底的に家事労働に入れました。「母性本能」と名付けて、女性だけの仕事に押しつけてきたのが、今までの日本社会の常識でしたが、男性も全く同じだということがアメリカの実験で出てきました。母性という女性に限られた話ではなくて、「次世代育成力」です。

私が全国の小中学校で「弁当の日」をやってくれというのは、全部、男女問わず取り組みをしているわけです。彼らは親になった時、我が子の食事を作るのを苦痛に思わない。して当たり前と思える私の教え子達が今、子育てをしている。

教え子の父親がこんな話をしてくれました。「結婚した娘の家を見に行ってびっくりですよ。6歳、4歳、2歳の3人の子どもが台所で包丁持って料理してました。『こんな小さな子に包丁持たせて大丈夫か?』と娘に言ったら、私にこう言い返してきたんです。『小6になるまで料理したことなかった。やらせてくれなかった。竹下校長が来て、弁当の日が始まって、作ったら面白くって楽しくて、こんな楽しいことをなんで今まで親はやらせてくれなかったんやと。自分が親になったら、我が子を台所に立たせると心に誓ってた。上から順番に台所に立たせ始めたら、上の子を見て真ん中、真ん中の子を見て下の子、結局、一番下の子が一番最初に包丁できゅうりを切り始めたのは1歳4カ月やった』」。

この6歳、4歳、2歳の子が25歳とか30歳になって、我が子を台所に立たせてたら、私が訴えたことをちゃんと守って、「子育てが楽しい」と口にできる状態に育っていくわけです。現実に、100年後まで私のメッセージが届く状況を作ってきているので、そのことについて写真と川柳で伝えようと『100年未来の家族へ』(自然食通信社)という本を作りました。

人間が獲得できる次世代を育てるための能力、それを育てるチャンスを日本国中の学校で広げませんか、ということを、これからも訴えていきたいと思います。