平成30年度 年次総会 講演録 遠藤利彦 さん「アタッチメントと子どもの発達」

講師 遠藤利彦さん
(東京大学 大学院教育学研究科 教授)

 

☆スヌーピーの漫画「ライナスの毛布」が研究のきっかけ

「アタッチメント」は一般的には「愛着」というように使われていますが、最近ではそのままカタカナ表記で「アタッチメント」と使われている場合が多いと思います。この「アタッチ」は「くっつく」ということですが、これは誰かれところ構わずくっつくというのではなく、特定の信頼できる大人にしっかりくっついて、大丈夫だと安心感を持つという意味です。子ども(特に乳幼児)であれば一日に何十回と大人に関わるのは当たり前ですが、そのごく当たり前のことがどれ程、自然に安定して経験できるかということが、我々大人が考えている以上に子どもの一生涯に大切な役割を果たすというような話を今日はしていきます。
子どもの発達に関する研究は、ここ50年ほどの間に非常に進んだのですが、その研究成果が実際の子育てや保育、幼児教育に活かされてきたのかというと、そうではないと思っています。先進国では子育てや保育に関して研究する専門的な国立の研究機関があります。ですが、日本にはありません。

スヌーピーの漫画「ライナスの毛布」 欧米では7~8割の子どもが何らかのモノを持っている。

私事ですが、私が子どもの発達に関わるようになったきっかけは、スヌーピーが登場する漫画「ピーナッツ」でスヌーピーとともに登場してくるライナスという男の子です。彼はいつも毛布を持ち歩いているんですが、子どもによってはタオルであったりハンカチ、ガーゼ、シーツの切れ端、お母さんのスカート、柔らかいぬいぐるみである場合もあります。それをボロボロになるまで、あるいは真っ黒に汚れるまで持ち続けて、なかなか放そうとしない子どもがいます。欧米では7~8割の子どもがこういう物を持っていて、持っている子が普通で持っていない子は心配されることになるんです。しかし、日本では3割~4割の子どもが該当するので少数派となって、かつては家庭で寂しい思いをしているのではないかと心配された時代もあったと思いますが、最近では持つ子どもと持たない子どもの間に違いはないとされています。ただ、持つ持たないの違いがあるのは、何か理由があるはずで、子どもの育った環境と性格形成に興味を持ったわけです。
子どもの育つ環境を考えるときに最も重要なのは、大人と子どもの関係です。子どもにとっての養育者・親との関係、家庭の外での大人との関係、例えば保育園・幼稚園での関係が子どもの発達を左右することになると考えたのです。大人と子どもの関係を考える一つの切り口として注目しているのが先ほどの「アタッチメント」です。子どもが不安を抱いたときに、父・母にどれ程しっかりくっついて安心感を持つことができたか、また、幼稚園・保育園で先生・保育士さんにどれ程しっかりくっついて安心感に浸れるか、それが子どもの発達にどんな影響を与えるのかを研究してきたわけです。

☆「アタッチメント」のはく奪が大きなダメージに

子どもの発達にとってアタッチメントがどれ程大切なのか具体的な事例を挙げて説明します。一般的にあまり知られていませんが、縦断研究という言葉があります。一人の人間を時間にそってずっと追いかけていくというものです。乳児時代にこんな育て方をした子どもが3歳になって周りの友だちと関われているかとか、小学生になってどれくらい勉強しようとしているか、中学生で部活に一生懸命取り組んだか、高校時代に何か問題を起こしていないか、大人になってどんな生活をしているか、 どんな仕事について収入はいか程か、どんな家庭を築いたか、何か病気をせずに健康で暮らせたか…などをずっと追いかけて調べていく研究です。全世界でこのような研究がたくさん行われています。2000年に生まれた子どもが21世紀にどんなふうに生きていくかを追跡している20世紀21世紀縦断調査というのもあります。
そんな中に「はく奪研究」というのがあります。普通だったら生育過程で経験することなのに、それができなかった子どもは、どのくらい深刻なダメージを受けるのかというような研究です。逆に「介入」もあります。普通では経験できないことを特別に経験した子どもは、どんな効果を発揮するのかという研究もあります。
「はく奪」では、いわゆる恵まれない子どもたちを対象にしたものです。ここに「ルーマニアの棄てられた子どもたち」という本があります。21世紀に生まれ、ルーマニアの施設で育てられてきた子どもたちが対象です。この本で取り上げられている子どもたちの発達には著しい遅れと歪みが認められます。これらの施設は物理的な環境でみると劣悪な施設ではありません。栄養面でも十分な栄養を与えられているし、絵本や遊具もそろっているにも関わらず、ここの子どもたちには身体的・精神的に著しい遅れと歪みがあるのです。そこに不足しているものは大人の手による、温かいケアです。子どもの人数に比べて対応する大人の人数が極めて少ないのです。ひどい施設になると乳児50人にケアする大人がたった1人という不自然な養育が行われているのです。そんな施設では、いつも何をするにも一緒です。食事からシャワーならまだしも、排せつまで同時に済ませようとするのです。そこでは個別の欲求は無視されます。子どもが恐怖や不安で声を上げても誰も来てくれない。これらの施設での一番深刻な問題はアタッチメントの剥奪です。それが子どもたちの心と身体の両面に深刻なダメージを与えていることが報じられています。普通の家庭で育つ子どもにとっては、ごくごく当たり前のことが剥奪されると、心と身体の発達に大きな問題を生じさせるということです。
心の発達の部分でも大きな影響を受けるのが「自己と社会性」です。自己に関わる心の力とは、自尊心とか自己肯定感・自制心・自立・自律性…などで、一方の「社会性」に関わる心としては、心の理解能力、共感性・思いやり・協調性・道徳性・規範意識…などです。人間が生活を営む上で、おそらく多くの人がこういう力は大切だと直感的に思うことでしょう。この部分に最も深刻なダメージを与えるのがアタッチメントの剥奪だということが分かってきたのです。何故なのか?自尊心や自己肯定感の根底にあるものは、自分が人から愛してもらえるという感覚です。どんな状況にあっても自分を見捨てることなく、愛してもらえることです。人から大切にしてもらえるということは、自分に価値があると受け止めるのです。この感覚が自尊心や自己肯定感の根っこになるのです。
社会性では「周りの人とうまくやっていく大前提とは何か」それは、人を信じていいんだという感覚です。乳児が大声をあげて泣くのは、「助けて」というシグナルです。先ほどの子どもたちは何度も助けてと泣き叫んでも誰も来てくれない。その積み重ねから「助けてと叫んでも人は助けになんか来ないんだ」と思うようになる。そこから人に対する不信感、自分には価値がないという感覚を幼少期に、心の奥底に固めてしまうということです。

☆乳幼児期にお金をかけること

ここで「ペリー就学前計画」というものを紹介します。アメリカ・ミシガン州で1960年代に開始された研究です。中でもジェームズ・ヘックマンという経済学者が有名です。専門が教育経済学で、子どもの教育にどのくらいお金をつぎ込めば、確実に効果が出るかを研究したのです。人生のどの時期にお金を使えばいいか。ここでのお金は個々の家庭だけでなく公的な財政も含めたものですが、結論からいうと、圧倒的に就学前、乳幼児期です。
人生のどの時期にも同じ金額を使うとして、どんな効果があったのかを調べた研究があるのですが、人生の時期が早ければ早いほど効果が大きいという結論です。その上で仮に恵まれない状況の子どもたちであっても、公平な機会を与えることができれば、しっかり育つという結果を発表したのです。それまでは教育というと、義務教育以降を指していたけれど、最近は先進国を中心にヘックマンさんの考え方に基づいて、教育のウエイトを乳幼児期に移行させているところが増えています。日本もその動きはありますが、他の国と比べると、乳幼児期にお金を使わない国と言えます。
そもそもミシガン州ペリー地区というところは、アフリカ系アメリカ人の貧困層の多い地区なんです。だから義務教育前に幼稚園・保育園にいく機会は乏しいのです。いくら義務教育学校で力を注いでも効果は上がらないし、ドロップアウトする子どもたちも後を絶たない状況だったのです。そこで小学校付属の幼稚園に特別に3歳から2年間通わせてみたのです。そして同年齢で幼稚園に通わなかった子どもたちのグループと発達について追跡調査をしたのです。
50歳になった時点でデータの集計も終わり、結果の公表を待つ段階にあります。40歳までの結果はすでに発表済みで、一ヶ月に2000ドル以上収入のある人の割合、持ち家の割合、生活保護の有無を比べると、どれも幼稚園に通った子どもたちのグループの方が良好で、経済的に安定しているという結果です。そのほか犯罪歴などにも差があり、健全な市民生活という面でも違いがあります。

☆「お互いに信じ合える」という非認知力をつける

では、幼稚園でどんな力をつけたのかが重要になりますよね。早期に学習する機会を得て頭がよくなったからという人が多いのですが、ヘックマンはそれを否定しています。一般に頭がいいとか勉強ができるというのを、心理学では「認知能力」と言います。IQなどで測定されるものです。ヘックマンは、それとは別の非認知能力を収得したからだと考えたのです。非認知能力とは何かということですが、先ほど話題にした「自己と社会性の心の力」で、アタッチメントが欠けた時に発達に支障がある力です。IQだけで2つのグループを比較してみると、幼稚園に通っている間から小学校低学年までは、通園したグループの方がIQは明らかに高い数値が出ていますが、小学校中学年になるとIQの差はなくなっています。そこで、40歳の時点で経済的、健全な市民性などで格差が出ているのはIQ・認知力の差ではないという結論に達したわけです。
では、非認知力を養う要因は何か。それはいたってシンプルなもので、幼稚園にはちゃんとした大人(先生)がいてくれたということなのです。ここでいう「ちゃんとした」というのは、常識・良識をもち、温かい感情をもって、子どもたちに一貫した関わりができる大人を意味します。先ほどの調査で、ペリー地区の3歳の子どものIQは80でした。これは母子家庭、それも母親がティーンエィジャーが多い背景もあって、家庭で適切な子育てやしつけがされてこなかった。ネグレクト状態で、恐怖や不安で鳴き声をあげても放置されてきた結果と言えます。そんな子どもたちが幼稚園で「ちゃんとした大人」に出会って、アタッチメントを経験したのです。たった2年間のことですが、その子が大人になっても大きく影響しているということです。
自己と社会性の根っこにあるのは、人って信じていいんだな、自分は愛してもらえるんだなという感覚です。人の幸福のかなりの部分は人間関係だと言われます。その大前提はお互い信じ合えるということです。生育過程できちんとした大人に出会ってケアしてもらえたら回復するものです。
乳幼児期の発達はその人の土台になります。しっかりした土台にはしっかりした建物が建てられます。IQで測定できる力=認知力も、非認知力がしっかりしている方が伸びるということも分かってきています。知識偏重の早期教育ではなく、人を依頼し、自分に自信をもち、自己をコントロールできるといった力を身につけておく方が、しっかりした土台になるということです。

☆マシュマロ・テスト

次に、ウォルター・ミシェルさんによる4歳児の自制心についての研究を紹介します。
そこで用いたのがマシュマロ・テストで、マシュマロをお皿の上に置いて「1個すぐ食べてもいいけど、15分待っていられたらもう1個足して2個あげる」と伝え、子どもの行動を観察するテストです。4歳の子どもにとって15分という時間は結構長くて、3分の2の子どもは食べてしまうんです。逆に言うと3分の1の子どもは、我慢して2個のマシュマロをゲットしたということです。目の前のマシュマロを食べたいという衝動を抑えて、もっと先の目的物を手にすることができるかどうかのテストです。4歳児の自制心を見るテストですが、同時にIQを測っています。その後、小・中学校、高校の成績、社会人になってからも仕事上での成功も調べ、それらとの関連を見ています。その結果、4歳の時の自制心の方がIQよりも、学校の成績や社会での成功との関連が強かったのです。
以上のように最近では「非認知」の力が注目されています。幼児教育の指針がこの4月に保育指針とか幼稚園教育要領が改定されましたが、その中に『幼児期の終わりまでに育ってほしい10の姿』というのが盛り込まれたんです。その10項目のうち、7~8割までが非認知の力だったのです。

☆安心感の輪

アタッチメントとは恐怖や不安などのマイナスの経験をしたときにくっついて安心することで、よく耳にするスキンシップとは違います。もう一つ大事なことは、特定の誰かにくっつくことによって立ち直ることができるわけで、誰かれ構わずくっつくのは、健康なアタッチメントとは言えないです。
特定の誰かによって「安心感」を得た子どもは、保護されることに「見通し」が持てるようになります。それは何かあった時には、特定の人が助けてくれる、守ってくれるという確信です。子どもは好奇心の塊です。その一方で不安や恐怖の塊でもあります。子どもが不安や恐怖を乗り越えて、いろんなことにチャレンジしていくのは安心感の見通しがあるからです。それによって自分の可能性の幅を広げていくのです。別の言い方をすれば、十分にくっついて安心感を得た子どもは、どんどん一人でいられる力をつけ、自律性を獲得していくということです。自立させるためには早い時期から一人で置いておく方がよいと考えるのは逆効果なのです。それを「安心感の輪」の図で示しています。

アタッチメントの対象である特定の大人は、安心の基地であり、安全な避難場所でもあります。この輪をぐるぐる回っているのが乳幼児期の子どもの生活です。そして子どもの成長・発達とは、この輪が少しずつ広がっていくことです。輪が大きくなると、安心の基地に戻る機会・時間が少なくなりますが、基地が不要になることはありません。
アタッチメントができていると、心の発達だけでなく、身体の発達も重要な役割を果たすことが分かっています。怖いと思う時、心拍数が上がります。恐怖という感情は逃げるための身体の緊急反応なのです。心臓にも筋肉にも血管にも大きな負担がかかっているんです。これが常態化すると身体発育にも影響が出てきます。
脳の発達からすると、乳幼児期は大変重要な時期なんです。小学校入学時には成人の脳の重さの90%は出来上がっているのです。だからこの時期に虐待されたり放置されたりすると、心に傷を受けるだけでなく身体の発達にも支障が生じることが分かっています。
12、18ヶ月のアタッチメント経験と、32歳時の身体的健康の関係を調べた研究がありますが、幼少期に安定したアタッチメントが欠けていた人たちは、安定したアタッチメントを経験した人たちに比べて4倍の身体症状を訴えていたという結果が出ています。

☆子どもが一人でいることを尊重する

アタッチメントにはもう一つの機能があるんです。それは感情を調律して立て直すという働きです。ここでいう調律とは、同調して共感するということです。例えば子どもが転んで、痛みで鳴き声をあげた時、その場に駆け付けた大人も「痛いね」と言いつつ同じように痛みを感じた表情をするでしょう。大人が鏡になって子どもの感情・表情を映し出しているのです。それと同時に「あー痛かったね」と言葉も発しているはずです。子どもの心の中を実況中継しているようなものです。そこで子どもはその時の感情を表現する言葉を学ぶのです。こういう状態を悲しいというのかとか、これが悔しい感情なのかとか…というように、自分の気持ちに適切な言葉を貼って理解していきます。これが心の理解能力です。自分の心の状態が理解できるようになると、友だちに何かあってもその気持ちが理解できるのです。
ここでいう大人の対応は、ほとんどの大人がごく当たり前にやっていることです。アタッチメントは技術的なものではありません。ごく当たり前のことが特定の大人によって、しっかりぶれずにできれば、子どもは心の力、身体の健康を身につけていくということです。
安心感の輪を上手に回っていくために、大人はどのような心掛けをすればよいか。アタッチメントの基本原則は、「大人はいつも子どもの状態を気にかけて。その後ろを心配してついて回ったり、転ばぬ先の杖になろうとして先回りしたりするのではなく、どっしりと構え、子どもが求めてきた時に情緒的に利用可能な存在であればいい」ということです。
子どもがシグナルを出してきた時に、情緒的に利用できる大人であれということ。逆に言えば、特に必要とされない時は、子どもの活動にあえて踏み込まないことが重要ということです。
子どもはシグナルを発していないのに、大人が先回りや干渉をして、子どものためになるのだからと手を出すのはよくない。子どものシグナルに敏感であることと同様に大事なことは、シグナルを発していないのに大人が踏み込まないことです。あえて何もしないのは冷たいのでは…と思われますが、これは子どもが一人でいることを尊重するということです。その上に、環境を構造化すること、情緒的に温かいことも大切な要因です。子どもを黒子として支え、離れたところから応援団として温かく見守り、エールを送り、子どもの自発的な活動を励ますのが重要です。子どもは背中で応援や励ましの視線を感じ取っているはずです。
今日、お話したことは、ごく当たり前のことですが、そのことの重要性については、普段あまり考えないことなので、最近の研究成果なども含めて改めて考える機会をもつことで、子育ての参考になればよいかと思っています。

(平成30年5月25日に開催しました年次総会の記念講演の要旨をまとめました)

「育てる」No.55より