H27年度 総会 記念事業 「みんなの学校」

すべてのこどもが安心できる居場所づくり (H27/5/19)

  

木村 泰子さん
(大空小学校前校長)
真鍋 俊永さん
(関西テレビディレクター)
聞き手
岩﨑 美枝子

大阪市立大空小学校(住吉区)は、2006年開校。校長の木村泰子先生は「すべての子どもの学習権を保障する」という理念のもと、開校以来、児童と教職員だけでなく、保護者や地域の人もいっしょになって、誰もが通い続けることができる学校を作りあげてきた。教職員は通常のルールに沿って加配されているが、地域の住民や学生のボランティア、保護者らの支援も積極的に受け入れた「地域に開かれた学校」として、多くの大人たちで見守れる体制を作っている。すぐに教室を飛び出してしまう子も、つい友達に暴力をふるってしまう子も、みんなで見守る。両親が早朝に仕事に出てしまうため度々遅刻する子を、教職員や管理作業員、地域のサポーターが迎えに行き、登校を見守ってきた。学校では「自分がされていやなことは人にしない 言わない」という「たったひとつの約束」があり、子どもたちはこの約束を破ると「やり直す」ために、やり直しの部屋(校長室)へとやってくる。前の学校では不登校だった子も何度も校長室でやり直し、これまでなかった友達との交流を通して、少しずつ学校におられるように変化していく。みんなでつくるみんなの学校、それが大空小学校。(映画『みんなの学校』パンフレットより抜粋)

総会では、テレビ放映版『みんなの学校』(2013年5月6日関西テレビ放映)を鑑賞。その後に、木村前校長と、真鍋監督にお話いただきました。

岩﨑 まずは、ごく普通の公立小学校の校長として、この学校を『みんなの学校』として作り上げようとされたいきさつをお聞きしたいと思っています。

木村 あの地域には千人以上の子どもがいる南住吉小学校という大規模校があって、とにかく新しい学校を作ろうと、行政も地域も考えられたんですが、地域住民の思いや、区割りの関係でなかなか実現しませんでした。新設校の建物は建ったけれども、校区割りでもめて、5、6年生だけが新しい学校(分校)、1年生から4年生が本校という形でスタートした3年目に、南住吉小学校の校長として赴任しました。きょうだい別々の学校に行く、本校と分校の先生は1ヵ月に1回の職員会議だけ集まる、5、6年は1年生の困っている姿とか全然見ないで学校生活を送る。「これが学校かな~」というようなところから、どんなことをしても、みんなでいい学校を作りましょうと、大空小学校が開校しました。私は「言いだしっぺやから新しい学校に行きたい」と希望したんですが、公立小学校ですから、あちこちから教職員も集まって、突然できたという学校だったんです。最初の始業式には、とても嫌な校長として、私は子どもたちの前に立っていたと思うんです。校長が「自分の学校だからいい学校にしよう」と思っていると、どれだけの子どもが不幸になるか。「いい学校にしよう」という、私自身の思いは、2ヵ月くらいで、子どもたちにズタズタにされました。「いい学校」というのは、誰が評価するのか。世間?地域?違うな、と思って。そこで学んでいる子どもが「自分の学校がいい学校」というのが、ほんとに「いい学校」やな、というのを教えられています。

岩﨑 「みんなの学校は誰が作るんですか?」「自分です」「自分とは誰のことですか?」という子どもたちへの問いかけは、なかなか厳しいですよね。子どもたちがそれを理解して、すべての子どもがここを居場所にできる学校にしようと、先生方を含めて心が固まるのに何年くらいかかった?

木村 何年くらいでできたという感覚は一切ないんです。今日の子どもと明日の子どもは全然違うし、「これでいい」と思ったことはただの一度もない。テレビカメラが入る話が舞い込んできた時、みんなで「断る理由」を探したんです。でも、やっぱり、「パブリック」なんですよね、公立小学校は。みんなに開かれたみんなのもの、そこにカメラが入るから、どうぞありのままを見てくださいというのは、当然のことやろ…って。

岩﨑 関西テレビがこの学校に注目したのは、真鍋さんの奥さまで迫川さんという方なんです。「あそこにちょっと変わった学校がある」というアンテナが迫川さんに動いて、撮り始められたけれど、部署が変わって、真鍋さんが引き継がれることになった。学校に初めて行って、カメラを回すということは、いかがでしたか?

真鍋 変わった学校なのかなくらいしか思わずに行ったら、全然違うんですよね。普通、カメラを持って小学校に入ったら、「わ~っ!」って子どもがたかってきて、大変なんですよ。でも、大空の場合は、授業が始まったら、みんな普通に席に座りに行っちゃう。「開かれている学校」というか、いろんな方が視察に訪れるのを、校長はいつも、「これも学習のチャンス、学びのチャンスだ」みたいな感じで、そういう刺激は、教科書開いてやる勉強よりももっとたくさん得るものがあると考えてはるのかなと。いろんな人と人とが触れ合うことを大事にして学んでいく、そういう土壌があるから、ああいう風にカメラが入っても何となく自然に、みんな、自分がやることをちゃんとやってて、それを横っちょから撮ってるような感じになったのかなと。映画版の方は、泣きポイントはこれ(テレビ版)の3倍くらいあると思います(笑)んで、ぜひ、映画も観ていただけたらと。

岩﨑 木村先生はこれをご覧になっていかがでしたか?

木村 この45分のテレビ版は、主に校長の動きを追ってるので、私は気に入らないんですよ。校長がこれだけ動いているということは、教職員や地域、もちろん子どもたちが、その何倍も動いているんですよね。映画版では、もっと子どもらも地域の人らもいっぱい出ています。手の空いてる人間がとにかくやる。障害があるから支援が必要だというくくりでなく、毎日毎日、子どもたちにはいろんなことがあります。子どもにまつわる情報が入ったら、みんなでわっと動いてる学校なんです。

岩﨑 一人ひとりの子どもの、その時々の状況に合わせて、子どもにとって必要な動きをするというのは、私たちの仕事の上でも共通していて、そこが基本だということは、とってもよくわかるんですね。教師は当然かもしれないけど、木村先生は子どもにまで迫るでしょ?学校というフィールドで、それをしっかりとおやりになっているところがすごいなと。

真鍋 先生は、「ジャッジをしない」という言い方で、僕にいつも説明してくれました。子どもが喧嘩してても、どっちが悪いとかいいとかを絶対に決めない。この子とこの子がなぜもめてるかの「通訳」をするんだと。何度も何度も、「その時どう思ったん?」と、なんでそういう風になったんか、相手はどう思ったんか想像つくかな、みたいな。僕らが見たら、「こっちの方が悪いよな」という感じで見えても、絶対にそういうことはしない。結局、子どもは納得しないと収まらないので。

岩崎 それこそ千人を超える子どもがいた学校では、そんなことする余裕がなかったでしょう?

木村 目の前にいる子どもと自分が、どう動くかということって、学校の規模の大小は一切関係ないと思うんですよね。この9年間、私たちはただの一度も、「これでいい」と思ったこともなければ、「答え」が見つかったこともない。『みんなの学校』が広がって、沢山の方から「ノウハウやマニュアルを教えてほしい」と聞かれる度に、「困るな~」と悩むんですよね。どこにも「正解」はないんです。大空の子どもでも、今日の子どもと明日の子どもはまた違うんです。マニュアルができたり、学校はこうあるべきだというような「形」ができてしまうと、その「形」に入れない子は、必然的に学校には来られなくなるんですね。最近の学校は、「頑丈なスーツケース」になっていってるんです。長い棒はポッキンと折れへんかったら入れられへんでしょ。でも、「大風呂敷」広げといたら、棒の端っこが出てても、みんなでなんとか担げますやん。それって、すごいアバウトやし、マニュアルがあるわけでもなんでもない。学校っていう大きな集団を考えた時に、目の前の子が今、何に困ってるんかな、今日一番困ってる子は誰かなということです。困ってない子は放っておいても、集団の中でちゃんと学んでいきます。でも、困ってる子は放ってたら集団の中に入ってこれない。一日来なかったら、次の日、来にくくなる。一週間来なかったら、もう行かないことで落ち着いてしまう。だから、結果として、「その日のことはその日に解決しよう」というようなマニュアルは自分たちの中にできていったかな、とは思うんですが、こうすればこうなるよ、なんてことは、あってはいけないと思うんです。教職員でいつも言ってるのは、「先生」である前に自分は「社会人」であるか、その前に、子どもの前で「大人」であるか、その前に、子どもの前で「人」であるか。「人」であり、「大人」であり、「社会人」であり、そして「教師」なわけですよ。私なんか、そして「校長」なだけです。自分が「教師」をしていても、「自分」がなければ、校長なんて務まるわけがない。それは思ってます。

岩﨑 なるほど。みなさんから質問があったら、ぜひ。

会場 小学校の中での取組みはよく分かったんですが、これを中学校にどうつないでおられますか?先生方が変わると、子どもたちも、また元に戻っちゃうかな…という心配もありまして。

木村 「中学校はどうですか?」ってよく聞かれるんですが、正直な答えは、「そんなん知らんやん」なんですよ(笑)。でも、そうは言われへんのでね。お互い理解しあうためには、形式的な小中連携ではなく、ふだんの付き合いをしようと。だから、中学校の校長先生に大空に来ていただいて、その方が剣道の達人やったんで、剣道の授業をしてもらって、そういうのを通してつながっていくというようなことをしてます。特別支援教育って言いますけど、大空ではもう、「特別」いうのを、ほった(捨てた)んです。支援の必要な子どもたちは沢山いるので、支援教育はとても大事なんですが、「特別」という言葉が付くと、ちょっとぶれると思うんです。だから、日ごろの付き合いを大事にすることで、支援の必要な子どもたちを、中学校へつないでいってます。最初の3年めくらいの卒業生は、中学校に行くとすぐ、文句を言いに帰ってきました。中学校でやってることはおかしい、と。例えば、大空では一切号令をかけない集団行動を、子どもたちは学んでます。犬の訓練って、「ハウス!」って言われるとハウスに入りますやんか。子どもがダラ~っとしてても、怖い先生が怖い顔して、「きをつけ!」って言うと、シャキッとなるんですよ。でも、言われないと、ダラ~っとなる。それっておかしいやんな、とみんなで考える。「きをつけ」の目的は、「正しい姿勢をとる」ことなんですねそれによって、集中して話が聞けるだろう、という仮説の元に。だから、かかとひっつけて、指先ひっつけて、目が前向いてたら正しい姿勢なんちゃう?と。「前へならえ」というのは、前の人と握りこぶしひとつです。例えば、全校朝会で、一年生から六年生までずっと横一列。一年生と六年生の腕の長さは全然違うから、横の列なんか、そろうわけないんですよ。そしたら、「前へならえ」の意味はある?前の人の後ろに立ちましょう、でも、前の人が邪魔で見えへんかったら、自分の意志で動いて、見えるようにすることの方が大事でしょ。そういうことも含めて、今まで考えへんかったけど、やっぱり考えたらぶれることってあるんちがう?と、「悪しき小学校文化の見直し」みたいなことはやってきたんですね。そうやって、正しい姿勢とか、隣の友達と横の線そろえよなとか、前の人の後ろに自分がきちっとまっすぐ立つとか、子どもはそれぞれ自分で考えて、気づいてない子には教えてあげて、やってきてる。ところが、中学校に行ったら、「きをつけ~!」「前へならえ~!」ってやられるんですね。そしたら、「先生、なんであんなわかりきったこと、小学校よりも程度が低くなるの?中学校は?」って帰ってくるんです。

岩﨑 すごいっ!

木村 でもね、二、三年たって、やっぱり、世間とのギャップってあるんかなって反省して、卒業前に「中学校入学準備セミナー」っていうのを始めたんです。「きをつけ!」「前へならえ!」「行進は前の人の頭見て、オイッチニ、オイッチニ!」とかやるんです。子どもらは「クッククック」と笑いながら、「何のためにすんの?」って言うんですけど、「こういうことも、自分がおかしいなあと思っても、できる自分になっときーや」っていうような誤魔化しで。中学校が変わってくれたら、世の中ぐんと変わると思いますよ。髪の毛染めてたら学校の門は入れん、これは校則や、となる。校則があるから行けない子が出てくる。なんで、そんな校則作るん?って子どもが聞いたら、世の中に出て就職したら、「右向け」言うてる社長に、「私は左向きたい」て言うたらクビになるやろ、そういうことも社会勉強としては必要なんや…という風な答えを、たいがいの中学校の校長先生はされるんですね。そのあたりは私たちはまだまだ突破できない。けど、こういうこともあるよって知って、その中で自分で動けるようになって、自分の考えをしっかりと積み重ねていったら…みたいに、中学校とは付き合ってます。

岩﨑 木村先生がこの春、退任なさった。木村先生だけじゃなくって、あの「おばちゃん集団」…。

木村 はい、「ババ研」と呼んでます。表の名前は「ベテラン研」なんですけど、「ベテラン」ってしんどいよな、プレッシャーやなって、自分達では「ババ研」って呼んでいて、心地いいんです。

岩﨑 その「ババ研」の先生方の実力や結束力、どう動くというのを各々が分かりあって、今、私の役割はこうだなと自ら選んでおやりになっている。教職員集団で共有しあいながら、なんともいえない力というのか雰囲気を醸し出してますよね。あの方たちも大半、おやめになったんですよね。

木村 大空は今年で10年目です。若い教職員が思う存分学校をリードして、取りこぼしたんは、全部、「ババ研」の私らが拾うよ~、だから安心して、若者はいっぱい失敗し~!学校は若者が動かさなあかん、一番、子どもに近いやろ!とか言いながらやってた、ベテランの教員がほとんど…。年数がきて退職というのもありますし、一校におれる年数もありますし。メンバーが半数変わって、校長が変わったら、学校変わるやろって、みなさんはよくおっしゃるけど、そんなことはない。学校なんてどうにでもなる。校長ごときが変わろうと、学校は変わらない。けど、子どもの前の大人がぶれたら、一瞬にして、学校は変わる。ちょっとかっこよく、「第二ステージのスタート!」って言ってますけど、新しいメンバー、「世間の風」が半分どっと入ってきたわけやから、これまでいてた若者たちとどう作っていくかというのは、とても大変なことですね。でも、子どもは六年間、自分の学校を作ってますから、大丈夫だと思います。

岩﨑 どうですか?真鍋さん、次、撮りませんか?

真鍋 ま、撮らせてくれるなら、いつでも行きますけど。

岩﨑 そこも観てみたいような気もしますよね。残された先生方と育った子どもたちがどれだけ力を合わせて、自分たちが大事にしてきたものを守り……、守るっていうのもおかしいな。

木村 私が言って出てきたのは、「守るなんてことを考えたらあかん」「一日でつぶれるで」って。 目の前にあることを、とにかく丁寧に丁寧に、子どもさえちゃんと見てたらいいんです。どれだけ周りが、「居場所を作ってあげよう」と言っても、当の子どもが自分で自分の居場所を作ろうと感じられなかったら…。やっぱり、子どもは子ども同士の学びあいで育つはず。とても重度な「広汎性発達障害」を抱えた子ども、荒っぽい、すぐキレる子どもも沢山いますけど、その子を変える努力をどれだけするよりも、周りの子どもたちを変える努力をする方が、その子は変わりやすい。それって、私らに置き換えたら、大人がちょっと変わろうとしたら、子どもって変わるやんって、それを子どもたちに教えてもらいました。

岩﨑 映画にしようと思われたのは何だったんですか?

真鍋 週に2、3日、1年間ずっと通って、500時間ほど撮影させていただいたんです。どれもこれも子どもたちが生き生きとしていて、非常に面白くて楽しいんで、できるだけ長くやりたい、ということで。ほんとに重荷になるくらい、映画がすごく好評をいただいて、僕は今、「次、お前は何をするんや」というプレッシャーに耐えながら、でも、この映画が生み出せたことだけでも、生まれてきた価値があったんかなというくらい…(笑)。

岩﨑 でも、「映画にしたい」って言ったら、先生の返事って、すげないものだったんですよね?

木村 心の中ではね、「真鍋さん、頑張ってるな~」って。ほんとにね、信頼関係、すっごくつながれたんです。大空にカメラマンと音声さんと真鍋さん、3人のボランティアが1年間いてくれたんですもん。子どもたちにとってはキャリア教育で、「俺は将来、カメラマンになる」とか。「真鍋さんは何してんの?ボーっと立ってるだけやんか」とか(笑)。「あれがディレクターか。俺はそれが楽そうやな」とか(笑)。社会の空気をいっぱい教えてくれてるわけやから、子どもらにとって、ものすごい教育環境を整えてくれてる、とってもありがたい存在やと今も思ってます。でも、映画ってね、お金取るでしょ。お金が発生するようなところを、公教育の中で、私は、ノーとしか言えないんですよ、自分の立場では。でも、こうやって、芸術祭大賞とか、文科省推奨とか、社会的に影響力を持つようなドキュメントが仕上がっていって、映画になる。大きな社会の流れを変えようとしていることを、一介の校長がイエスとかノーとか言うことではない。だから私は、映画に関しては「計画的無視」の態度をとります!って、みんなに宣言したんです。すごく悩みましたけど、映画になってよかったなと思うことが、最近、いくつか出てきてるんです。映画に出ていたK君は、映画を観終わった後、「俺って、こんなに大事にされてたんやな」って言うたんですって。映画が終わって明るくなったら、周りのお客さんたちが、「あ!映画に出てた子や!」って言うて、パンフレット持ってる人が「なあなあ、サインして!」って言うたんですって(会場笑・拍手)。それでね、「俺って有名なんやな~」「悪いことしたら、ばれんな~」と言うたそうです。彼はまともに生きていくかなって、映画になってよかったなって思いました。

岩﨑 こんなええ話聞けるなんて、ちょっと涙が出てしまって。もひとつ、他の子どもたちのことも言って…。

木村 映画やドキュメントではやっぱり、暴力的な子とか、障害を抱えてる子とか、そういう目立つ子らが中心になるんです。この子たちと一緒に学びあっている、世間でいえば「普通の子」「よくできる子」たちがどんな風にこの映画を捉えたかっていうことなんですけど。4年生だったセイシロウたちが、この春、卒業しました。卒業式が終わって2日後くらいに、5、6人の男女が校長室に入ってきたんです。みんなとっても優しい、先生を怒らせるようなこともしない、まあ言えば「おりこうさん」の子どもたちです。「校長先生、『みんなの学校』、映画になったの知ってた?」、「昨日、観てきた」と。すごい怖かったんですけど、「映画観てどうやった?」って聞いたんです。そしたら口をそろえて、「自分らの知らんかったことばっかり、映画にあった」って言うたんですよ。私、それには衝撃やったんですよ。「え?」って。「だって、あれ、みんな、あんたらのことが映画になってるんやんか!」って言うと、「ちゃうちゃう」って言いやるんです。自分らはこんだけ周りの大人の人たちに守られてたんかって。先生や管理作業員も含めて教職員、サポーター(親や保護者)、地域の人たちが、こんなに自分たちのことを支えてくれてるなんて思いもせえへんかったし、分からんかったって。これが分かっただけでも、映画を観てよかったって。だから、自分らも大人になったら帰ってきて、そのときの大空の子を大事にせなあかんなって、みんなが言いました。だから、映画になってよかったなと思っています(会場笑・拍手)

年次総会記念行事でのインタビューの要旨を協会でまとめました。「育てる」No,52より転載

★みんなの学校 公式HP