講師 曽田 里美 氏 (神戸女子大学准教授)
社会的養護の下で育つ子ども達は多くの喪失を経験しています。
乳幼児であっても、実親から離れる、生活の場が変わる、次の場所に行くなどの喪失を何回も経験することは理解されているものの、保護されて、安全な生活が保障できたことに注目が集まることで、喪失そのものが十分には扱われてこなかったのではないかなと思っています。
私が施設で働いていた時に、非常に印象的だったケースがあります。
産後すぐ、乳児院に措置された子どもで、その後も母の行方は分からず、3歳で児童養護施設に措置変更されました。
里親委託はなかなか縁がなく、季節里親を活用しながら施設で生活をしていて、小学4年生の時に養育里親候補のご夫婦との交流が始まりました。
交流は非常にうまくいき、施設の中でも皆が「よかった、よかった」という雰囲気でした。
A君に里親さんの家でこれから暮らすのはどうかと施設長が確認をすると、
「行きたくないわけではないんだけど、僕は行けない」
「お母さんが迎えに来た時に僕がここにいなかったら悲しむから」と言いました。
「おっちゃん、おばちゃんのことが大好きだけど、僕にとってはエメラルド。お母さんはダイヤモンド。エメラルドもきれいだけど、より輝いているのはダイヤモンドやねん」
と話したのです。
その報告を受けた時、彼の表現力に衝撃を受けました。
30年近く前のことで、施設でのライフストーリーワークはまだ実施しておらず、施設に来た理由や家族の状況なども全く伝えていませんでしたし、彼から聞いてくることもありませんでした。
彼の言葉を聞いて、ずっとお母さんのことが心の中にあったんだということが分かり、「里親さんの所に行くのがいい。幸せになれるよ」という話をしたことが、本当に申し訳なく思いました。
施設長も担当職員も
「分かってあげられなくてごめんね。あなたの気持ちは分かったからね」
「無理に里親さんの所に行くことはないから大丈夫だよ」と話し、
里親さんにもこのことを話したところ、
「わかりました。でも、今まで通り、週末里親のような関わりを、彼がいいと言うのであれば続けたいです」
と仰ってくれ、A君も続けたいと言い、交流が続きました。
数か月後、今度はA君の方から施設長に、「おっちゃん、おばちゃんの家の子になりたい」と言ってきました。
「最近、僕、ずーっとおっちゃん、おばちゃんのこと考えてて頭から離れへんねん」って泣きながら言ったんです。
A君の気持ちの変化を里親さんにも伝えて、無事、養育里親さんのお家で彼は暮らすことができました。
社会的養護に限らず、子ども時代に起こりうる7つの喪失を、ゴールドマンが挙げています。
「関係の喪失」は、家族や友人、ペット等の死や不在、親がアルコールや薬物の依存症等で、本来の役割を果たせなくなったような場合です。
「物の喪失」はお気に入りの玩具等が無くなる、取られてしまうというものです。
「環境の喪失」は、自然災害等での喪失や、転居や転校、家族構成の変化、家族との別離等。
「自己の喪失」は、身体の一部の喪失。歯が抜けたとか髪の毛を切ったというのも含まれ、虐待等による自己価値の喪失も当てはまります。
「スキルや能力の喪失」は、落第とか留年、スポーツで補欠になるようなこと。病気や障害によって、他の人と同じようにできなくなるというようなものもです。
「習慣の喪失」は、日課や食事パターンとか生活の変化。
「将来の喪失」は、大人の保護や安心感を得られなくなり、未来への希望を失い、自分が思い描いていた未来がなくなる喪失です。
こういう喪失体験はいくつもの喪失が複合的に起こります。
例えば、父親を亡くした子どもの場合、まずは、父親の存在を失う「関係の喪失」。
両親が揃っている家庭環境でなくなり、経済的安定を失い、転居、転校をする場合は「環境の喪失」が起こります。
母親が働きに出て、家族揃っての食事の機会が減れば「習慣の喪失」。
経済的な事情で習い事を辞めれば「習慣の喪失」や「スキル、能力の喪失」も起きます。
これまで自分が描いていた未来ではなくなりそうだという「将来の喪失」も起こります。
父親を亡くしたことで、これだけの喪失が起こるのです。
他に、喪失には「あいまいな喪失」があります。喪失自体があいまいで不確実な状態です。
タイプ①は、身体的には存在せず、心理的に存在する状況です。
災害等による行方不明で、生死が分からないというあいまいな状態です。
他に、離婚による親との別離、単身赴任でいないとか、養親子家庭で実親が不在という場合もタイプ①に当てはまり、これは「さよならのない別れ」と言われます。
タイプ②は、身体的には存在して、心理的に存在していない状況です。
家族が認知症、アルコールや薬物の依存症、精神疾患を患って、以前とは全く別人になってしまう。
目の前にいるけれど、今までのその人とは違う状態です。
これは「別れのないさよなら」と言われます。
震災で母親が行方不明になる、その時点でタイプ①のあいまいな喪失ですが、父親が母親の捜索に一生懸命になり、疲れ果て、悲しみのどん底にいて、子どもの養育もできないような状態になると、これはタイプ②になる。
あいまいな喪失の2つのタイプが同時に起こる例もあります。
次は子どもの喪失体験の特徴です。
子どもは自己中心的な思考の特徴を持ち、自分の周りで起きたことは全て自分に関係していると捉える傾向があります。
自分が悪いことをしたから、あの時こんなことをしたから親はいなくなってしまった、と思いがちです。
だから、子どもには「あなたのせいじゃない」と丁寧に説明することが大事です。
子どもは喪失からくる悲嘆を表現する言葉や方法が身についていないので、様々な方法で悲嘆を表現します。
例えば、震災の時に津波ごっこや地震ごっこをしたりします。
大人が言葉で体験を語り、振り返り、癒していくのと同じように、子どもたちは遊びで表現し、整理していくのです。
大切な人を亡くした子どもの反応は、悲しみ、怒り、泣き、不安、興奮などの情緒面の他、行動面、身体面、社会面に現れます。
行動面では暴力、落ち着かない、はしゃぐ、上の空になる、何事もなかったかのように振舞う、活気がないなどがあります。
身体面では、頭痛、腹痛、倦怠感、めまい、食欲不振、不眠など。
社会面では、小さい子に多いのは退行です。
親から離れない、攻撃的な行動、ひきこもり、学習に集中できない。
乳幼児の場合はトイレに行けない、自分でご飯が食べられない、1人で寝られない、おねしょ。
気持ちを言語化できない子どもは、行動で表現します。
乱暴な行動や学力不振などが起こると、喪失からくるものなのに、問題行動と捉えることもあります。
大人の理解不足で、悲嘆を表現しづらくなることもあります。
子どもはすぐ忘れる、子どもだからよく分かっていない、必要以上のことは言わなくていいとか、大人側のそういう思い込みがあったりします。
子どもが悲嘆を表すチャンスを逃してしまいます。
悲嘆が表れる時期や出方もそれぞれです。
すぐに出る子もいるし、数か月後に出る子もいる。
みんなが落ち着いてから、「さぁ、僕も出そうかな」という子もいるし、思春期の時期に重なって出たり、子どもによって表出の時期やスピードは変わってきます。
兄弟でも違う。遅れて出ても、喪失が影響していると捉える必要があります。
喪失を抱える子どもへの関わりですが、まずは離別や死別について、子どもに分かるように、適切に説明します。
子どもを蚊帳の外に置かない。そして、子どもの言葉に十分に耳を傾ける。
子どもの色々な質問に、誠実に答えることが大事です。
大人が話を逸らしたり、誤魔化したりすると、子どもは「聞いてはいけないんだな」、「聞くと大人の表情が曇るな」と思い、その事を話題にしなくなってしまい、自分の中に押し込めて、ますます悲嘆の表出を遅らせてしまいます。
亡くなった人や別れた人の話をしてもいい環境を作ることも大事です。
十代で父親不明の出産をして、すぐに養子に出す選択をした女性から話を聞く機会がありました。
児童相談所のワーカーは、養親家庭で子どもがこういう風に過ごしてますよという情報を、時々、彼女に伝えていました。
養親家庭では、養父母やその子の誕生日はもちろんお祝いをするけれど、実母の誕生日もお祝いをしている、
「この子が大きくなったら、『私たちにとってとても大事な人のお誕生日だから、毎年お祝いしよう』って言おうと思っている。赤ちゃんだからまだ分からないけれど、それを今年から始めています」ということなんです。
この話を彼女はとても喜んで、自分のことも大事にしてくれる、こういう家庭なら、きっとこの子も大事に育ててくれるだろうと。
一時は子どもを手放したことで、かなり精神的に不安定になりましたが、話を伝えてもらい、少しずつ自分の本来の生活に戻すことができました。
そのように、養親家庭で話題にできる環境が作れるのは素敵なことで、子どもはどんな過酷な事実であっても、周囲の大人とその喪失を一緒に受け止めて、生きていく力を持てるんじゃないかと思います。
逆に、ずっと伏せられていて、後から子どもが知る。
例えば、自分が養子であるとか、お母さんは自殺で亡くなったとかいう過酷な事実を、大きくなってから知った場合、子どもは周りの大人への不信感を持つ。
「どうして私に教えてくれなかったんだろう」と。
大人への信頼を失い、また新たな喪失体験になってしまいます。
喪失を体験した子どもに関わる際の神話というのを、ジェームズとフリードマンが挙げています。
「泣いてはいけない」、「悲しみを置き換える」、「一人で悲しみに浸れ」、「強くあれ」、「忙しくせよ」、「時間がすべてを癒す」というものです。
簡単に説明すると「泣いてはいけない」とは、泣くというのは悲嘆の自然な表現ですが、否定的に捉えて「もう泣かないの」、「クッキー食べて気分を晴らそう」とか言ってしまう。
なぜ、泣いてる時に「泣いてはいけない」と、大人は言ってしまうのか。
子どもは泣くのはよくないと思って、それを我慢するようになり、表現できなくなってしまう。
「悲しみを置き換える」というのは、「代わりに何々買ってあげる。だから忘れなさい」というもっていき方です。
例えば、小さい時から大事にしていたぬいぐるみを失くした時に、喪失の悲しみに寄り添うのではなく「もういいじゃないの、古かったんだから。新しいの買ってあげる」と大人は言ってしまい、その悲しみを紛らわせようとします。
「一人で悲しみに浸れ」というのは、泣いている姿を人前に晒すなということです。
大人がそうなんですよ。
大人が悲しみ、感情極まって泣く時に、子どもに見られるのが恥ずかしいと、自分の部屋やトイレでこっそり泣いたりしているのを子どもも見ている。
子どもが泣いた時に、違う場所へ連れて行き「ここで思う存分泣いたらいいからね」と、お母さんは去っていくという。
やっぱり悲しみは一人で表現しなきゃいけないのかなと子どもが思ってしまう。
「強くあれ」は、例えば、お父さんを亡くしたお母さんが周囲から「子どものためにあなたが強くならないとね」と言われる。
あるいは、長男が「君がもっと強くなって、お母さんや妹弟を支えないとね」と言われます。
「忙しくせよ」は、忙しいと気が紛れて忘れられるよということですが、喪失で悲しみを抱えている時は、弱っている時なので、本当はゆっくりしないといけない。
でも、その時に忙しくしていたら、気が紛れるだろうと思って忙しくする。
そうすると、体が悲鳴をあげてしまい、悲しみが解決する形にはならない。
「時間がすべてを癒す」は、話を聞いてもらうとか、それなりに行動をとらないと癒されないのですが、何もせず時間さえ経てば癒されるという誤解もあります。
ジェームズとフリードマンは、喪失を体験した子どもに関わる場合は、「子どもの話に十分耳を傾けることによって、初めて彼らの悲嘆に寄り添うことができる」と言っています。
次は、あいまいな喪失です。
あいまいさを取り除く、白黒つけることではなく、あいまいさを抱えながらもより良く生きられるようにすることが大事になります。
困難な状況でも、健康を保つ力を持てるよう支援していくことです。
これを、「AでもありBでもあり」という考え方と言っていますが、
例えば、タイプ①の場合は、行方不明の家族の消息について、「これだけ見つからないならばもう亡くなった」と考える人もいれば、「まだ遺体があがってないから亡くなってない」と考える人もいる。
それぞれの人の見解なので、無理に家族や所属している集団の中で一致させる必要はない。
亡くなっているということでもあり、亡くなってないということでもあるという考え方です。
もう1つの例は実親が行方不明の子どもが、養親家庭や里親家庭で生活する場合です。
その場合も、自分には実親は存在するが、行方不明や一緒に暮らせない状態ですよね。
自分には実親はいるということはちゃんと理解しながら、里親を親代わりとして、この生活で自分は幸せに暮らすんだということです。
実親も存在するけれど、里親という自分が大好きな安心できる家庭があるんだっていう風に考えるってことです。
ここで、もし養親や里親が、
「私たちのことをお父さんお母さんと呼びなさい。もう実親さんのことは忘れなさい」
と言えば、それはもうあいまいな喪失ではないんです。
「Aはもうなし。あなたにはBだけよ」という進め方は、より良く生きるということにはならない。
子どもも混乱してしまい、どうしたらいいのか分からなくなってしまいます。
タイプ②の場合、認知症の親を介護する人が、自分を育てた親への恩返しで介護するけれど、自分には趣味や楽しみもある。
介護のために我慢しないといけないと考えがちですが、親の介護もして、自分の人生も楽しむとしていかないと、この人自身がもたなくなってしまいます。
介護もする、自分の人生も楽しむ。
Aでもあり、Bでもありということで、そういう状況を自分なりに捉えていくことです。
冒頭のA君の事例は、まさにあいまいな喪失でした。
彼がやっぱり里親さんの所に行きたいと言ったのは、周りの人が彼の実親を思う気持ちに寄り添い、理解したから、彼が自分なりに整理をつけたと思うのです。
自分には実親がいて、迎えに来るかもしれない。
でも、「今、僕はこの大好きなおっちゃん、おばちゃんの家で暮らしたい」と選択できたということですね。
それから里親さんもAでもあり、Bでもありという選択をしてくれたと思います。
養育里親として、子どもを家庭に迎え入れたいと思っていたのであれば、彼がそれを拒否した時点で違う子どもとの関係を作りたいから、A君とはここで終了という選択もできたと思います。
だけど、あの時の里親さんは、週末里親として交流を続けたいと言ってくれました。
A君と暮らすことは、養育里親じゃなく、週末里親としての自分もありという風に切り替えられたということです。
次に、社会的養護の子どもの喪失と悲嘆ということですが、これは北海道大学の井出先生の論文からかなり拝借させていただいています。
まず、「ケアを受け始める時の喪失」。
親との離別に加えて、学校の友達、学校、地域、親しんだ環境、家で使っていた自分の物、家庭での文化、そういうものからの様々な喪失です。
虐待者である親との別れに強い喪失を感じる子どもも中にはいます。
けれど、子どもがこれだけ沢山の喪失を抱えていることよりも、過酷な環境から保護された、安心安全な生活ができるということを周囲は強く評価します。
周囲が「良かったね」と自分を見るから、子どもは、昔の友達に会いたいなとか、お家の方が良かったなとか話しても受け入れてもらえないと感じてしまい、悲嘆を表現しづらくなってしまう。
悲嘆する権利がないと子どもが感じてしまうことで、「権利を奪われた悲嘆」と表現しています。
それから、「ケアを受けている間の喪失」です。
これは措置変更が生じたような場合です。それまでの施設の養育環境、人間関係等が全て断絶されてしまいます。措置変更で去っていく子どもを見送る側の子どもにも、職員にも喪失はあります。最初はあった家族との面会交流が段々と途絶えてしまうということも、あいまいな喪失です。
入所児童の退所、職員の離職や異動、担当の変更等もあります。そういう意味では、ケアを受けている間、子ども達は繰り返し喪失を経験して、なかなか悲嘆が表出できない。未解決な悲嘆のまま、新しい状況に適応しなければならない。これを「累積的な喪失」と表現しています。
そして、「ケアを離れる時の喪失」。
措置解除の場合、家庭復帰や親戚の家で生活するとなると、施設や里親宅など安心安全な今の生活の場やそこでの仲間を失うといった喪失を子どもは感じているけど、周囲は「やっとお家に帰れて良かったね。希望が叶ったね」という受け止めをします。
子どももお家に帰れるのは嬉しい気持ちはあるけれど、今の生活がなくなる寂しさや悲しさが受け止めてもらえず、自分でもうまく表現できないままになります。
満年齢で措置解除の場合は、準備のないままそこを去らなければならないことも起こります。
子どもの問題行動や保育者との関係不良等による措置変更の場合は、子どもは「自分が悪いことをしたからだ」と思うし、見捨てられ感も持ちます。
措置変更になった問題の背景に、未解決の喪失や悲嘆、権利を奪われた悲嘆、累積的な喪失等が影響していることも十分に考えられます。
もう一つ、少し違う視点から、喪失について考えたいと思います。
それは「人生史の分断による記憶の喪失」というものです。
私達は概ね3歳以前に起きたことは記憶があいまいで思い出すことができません。
私は3歳の時に、バイクに轢かれて顎を切って、大きなガーゼを貼った写真もあるんですが、記憶はありません。
あと、肩がよく脱臼して、しょっちゅう病院で医者が腕をぐっと嵌めてくれて、差し出されたバナナを私が取ったら、「はい、治ったー!」って言って確認していたと親は話してくれますが、記憶は全くない。
これは「幼児期健忘症」というもので、この頃の記憶はほぼないと言われています。
一般家庭だと自分が記憶していない過去の出来事は、「バイクの下敷きになって顎切って手術したよ」とか、「肩を脱臼したらお猿さんみたいにバナナを貰ってたよ」と家族から語られて、共同記憶として受け取って、自分の記憶として自分の歴史の中に織り込んでいく。
だけど、養育者、家族、実親を喪失している社会的養護の子どもは、過去のエピソードを共有できる人がおらず、自分の歴史性とかアイデンティティの根幹に関わる喪失が、子どもには起こっています。何とか努力をして、そういう喪失が起こらないようにしていきたいです。
養親、里親、施設職員には、子どもや家族にまつわるいろんな具体的なエピソードを知ってほしいです。
親はどんな思いで名前をつけたのか、最初に覚えた言葉、好きだった食べ物、嫌いだった食べ物、好きな遊び、ほっこりしたりびっくりした出来事、そういう具体的な、さっきの私のような話を受け継いで、子どもに語ってほしいと思います。
エピソードは保護者から児相が聞き取り、児相から乳児院に伝え、乳児院から養親や里親、児童養護施設へと受け継いでいくものだと思います。
養親、里親、施設職員は受け継いだエピソードを「あなたは小さい時、こうだったんだよ」と子どもに語り聞かせる。
「その頃の僕のこと、知らんやろ?」って言われても「小さい頃のことも、お母さんは知りたいから、児相や乳児院の先生に聞いてるんだよ」って、答えてもらえたらと思います。
子どもが過去のエピソードを語った時にも、「聞いてるよ」と寄り添うこともできます。
このように日常生活で子どもの過去の生活や生い立ちを共有することも、ライフストーリーワークの一つです。
子どものライフストーリーをつなぐことは、子どもの養育をつなぐことです。
一緒に生活する前のことも含めて、自分のことを知り、理解してくれていることが分かると、子どもは安心感を覚えます。
養育の場や人が変わっても、自分の人生はつながっている、続いているということを実感でき、様々な養育者に支えられた自分の人生を肯定的に捉えることができます。
私は社会的養護の子ども達に、自分は実親や家族との関係は希薄だったけれど、その分、他の子よりもっと色んな人が関わってくれた、自分を支えてくれたと、そういう風に思ってもらいたいと思っています。
養育者側も子どもの過去を知ることで、「この子は、そういう子どもやったんやな」と子どもの人生に思いをはせる、想像することができます。
最後に、養親、里親、施設職員もまた、喪失や悲嘆を経験しているということです。
養親の中には、実子をもつという人生や未来を喪失した方がおられるかもしれません。
また、里親や施設職員は措置変更や措置解除における子どもとの別れ、喪失を経験します。
ですが、措置解除で子どもが家庭復帰や自立をするということは非常に喜ばしいことで、施設養護や里親子関係は「一時的なものと認識していたでしょ?」と思われ、悲嘆を表現しづらいのです。
つまり権利を奪われた悲嘆ということになります。
アメリカの一部の州では、子どもとの離別に伴う喪失に関するケアを受ける権利が代替養育者の権利章典に明記され、ケアも実施されています。
養育者の喪失とか悲嘆のケアには、専門職の理解が今後ますます必要になると思います。
まとめに、ジェームズとフリードマンは、子どもの悲嘆のないまま累積される喪失感をエレベーターに例えています。
喪失感は、適切に悲嘆作業をすることで表出していかないとどんどん溜まっていく。
エレベーターは人数、重さの制限があって超えるとブザーが鳴り、最後に入った1人、2人が降りていく。
でも、子どもの喪失や悲嘆にはブザーがない。
だから、オーバーすると、パニックになって、少しのことで暴れたり、大声で叫んだり、摂食障害や鬱のような症状になってしまったりする。
いわゆるブザーに代わるものが、そういう症状となって出てしまう。
もう一つ、代替養育者自身の抱える喪失に気付くことなく、子どもの喪失に関わっていくことをスキューバーダイビングに例えて、スキューバーダイビングの経験のない人が、初心者に教えるのと一緒だと言っています。
未経験者が教えることはとても危険です。
なので、養育者自身が自分の喪失に気付いて、それにきちんと悲嘆をしていくことはとても大事で、それがないままに悲嘆を抱えた子どもに関わることは、非常にリスキーだと言っています。
子どもの喪失、そして、自分自身の喪失を理解すること、そして、悲嘆を表出し、悲嘆を受け入れていくことが、子どもと養育者のより良い相互作用を生み出すと言えるんじゃないかなと思います。